地場産業工場見学報告
職業奉仕委員会 |
堺南西ロータリークラブ |
職業奉仕委員長 河面 孝 |
職業奉仕月間という事で10月31日に我が堺南西ロータリークラブの会員お二人の経営されている工場を見学させていただきました。 |
1番目に、中川清一会員の太泉晒染工業竃P工場です。タイセンサラシソメと呼びます。今回改めて正確な呼び方を教わりました。初代の父上が、泉州で太く経営できるようにという思いでつけた名前だそうです。仕事の内容は、そのままで晒を染めるわけですが、製品としては、日本手拭、拡販時に着るハッピ・幟 秋祭りのハッピが主なものです。 見学の時、ちょうど神社の祭りの記念用の日本手拭を染めていました。子どもの頃学校で使用したあのなつかしい謄写版の原理に浮世絵の色づけの原理を重ね合わせたような染色法です。木版に相当するシルクでできたスクリーンにデザインを書き込み、色数に応じてそのスクリーン長さ30〜40mの印刷台に並べ(最高7色迄可能との事です)られて、長い晒が一歩一歩進む度に段々と形と色が完成していく様は、本当に見ていて楽しいものでした。晒の糸クズがスクリーンの目づまりの原因となるので、職人さんは1ステップ1ステップ真剣に色のつき具合を確認したり時に目づまりを圧搾空気で吹きとばしたりしている様子も私の仕事とは全く違う事もあって、新鮮なものに見えました。最新の技術では、色の三原色を応用し、あたかもカラー写真のように見える染め方も可能との事です。特に、物品の拡販用の幟に多用されているとの事です。
経営上では、取扱い製品が秋祭り用のハッピが主で、秋一時期に出品が集中するため、これに対応する困難さを聞きました。祭りの終わったあと、冬から夏にかけ「備蓄」をするのだそうです。注文が来るであろう町内会のそれぞれのハッピを不足する事のないよう見込み生産をするわけです。その金額は大層な額で、仕入れから決算迄の時間を考えると、それこそ太っ腹でないとなかなかできない商売かなと思いもしました。又、秋には集中するハッピの生産時、縫い子さんが多数必要ですが秋にのみ応じてはもらえないので、春から夏にかけて拡販ものでつなぐのだというような苦労話も聞かせてもらいました。年々泉州の秋祭りは、マスコミにも全国的に取り扱われるようになって、ますます盛大になっているように思われますが、一層にぎやかになりますよう願うものです。 |
二番目は、平山康夫会員の平山繊維(株)です。今でこそ殆どなくなってしまいましたが、堺でも平山繊維(株)のある神石市之町は、石津川の清流を利用した布晒(和晒)発祥の地として由緒ある地域だとの事です。私も出身が越後之国で、越後絣が作られていまして、子どもの頃織機が絣を織っているのを覚えていますが、工場に入りますと、割合厚めのドアで、新しい工場はそんなものかと思いながらでしたが、入った途端耳もつんざくばかりの、思わず耳を手でおおってしまう程に、巨大な音エネルギーに満ちた空間でした。大方30台位でしょうか、子どもの頃に見た大きな織機ではなく、どちらかと云えば、かわいらしい感じを受ける、小型の織機が動いていました。できあがっている布も、巾広ではなく、小巾の着物の反物のような巾のものでした。会員のお父上ともう一人職人さんがおられましたが、難聴にはならないのだろうかと、職業柄その事が一瞬心配になりましたが、平山会員さんはそうではないと思い心配しない事にしました。時間と共に騒音は余り気にならなくなりました。
その後、工場の上2階に事務所と展示室があり展示室で紡績・織布の案内ビデオテープを見せていただき、久しぶりに織物の勉強をしました。なつかしい木製の手織機もあり、それに座って足を動かしたり、杼を動かすまね事をしたりしました。
小ロットの注文に応じる事でのみでは、中国に負けないで経営の持続・発展は望むべくもない事、そのため、付加価値のある綿布を織る、あるいは特別な染色をする、それを使用して、今までにはないような製品を考案する等々平山さんの話ばかりではなく展覧されている諸製品、あるいは壁に貼られた業界新聞の切り抜き記事からも、いろいろ工夫・努力されている事がうかがわれました。 |
今回、堺の地場・伝統産業の一部を見せていただきました。我がクラブの本郷会長も同様の本郷染工鰍経営されており、今回の見学も、本郷さんから解説を受ける事も多くありました。お三方は、私の勝手な推量ですが、伝統・厳しい経営環境等々、ままならぬ事があるにしても、しかし、今のこの仕事が大好きで嬉しい部分があり、結局人生楽しんでやっておられるのかなと、現場でのお話より感じました。
工場見学の参加者は8名でしたが、終了後懇親会は全員で12名となり盛会でした。 |
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