ロータリー財団奨学生報告書

第二回報告
2000〜2001年度ロータリー財団奨学生 中 朋美(貝塚RC)

ロータリー関係の活動
 今年1月にまず、ホストクラブにて日本、特に私のホームタウンである貝塚についてのスピーチをすることができた。日本から持参したスライドを使い、地区のさまざまな風景(海、山、電車の駅、秋夏の地域の祭り)、地区の特産品(和泉櫛、水茄子漬、等)および6000地区のクラブ数や会員数等を交えながら20分間のスピーチをし、約10分間の質疑応答に答えた。ホストロータリアンの人々からは、私が好きなあるいは嫌いなアメリカンフード、アメリカでの生活等についての質問があがった。
 8月にはアイオワ6000地区の留学生同士の交流会が地区奨学生担当者であるMr.Cavittさんのイニシアチブのもとに開かれた。残念ながら休暇中のため、帰国している学生には会うことができなかったが、お互いの留学生としての経験等を話すことができた。またその際にアイオワシティー近郊のカロナという町を訪問し、メノナイトフードをいただく機会をもてた。
 今学期中にアイオワシティーにあるほかの2つのロータリークラブにてスピーチを行う予定である。残念ながら今までのところ、各ロータリークラブ、私の学業面でのスケジュール調整のため実現していないが、スピーチはいつでもできるよう準備を整えている。そのほか、近郊のロータリークラブにも休暇中に訪問する予定である。多くのロータリアンと出会うことは、常に私にとって有意義な経験となっている。

地域での活動
 今年3月にアイオワシティー近郊のカロナにあるメノナイトの私立学校を訪れる機会をもつことができた。3、4、5年生の授業を見学し、その際、日本から持参した写真等を用い、日本での生活について少しではあるが話をすることができた。学生たちは特に日本の稲作、魚料理(アイオワは内陸部であるため)に興味を示していた。
 9月には大学国際部が主催している「クラスルームジャーニー」と呼ばれるプログラムに登録した。このプログラムはインターナショナルスチューデント等、アメリカ以外の文化経験を持つ学生が地域の公立小、中、高等学校を訪問し、そこでの経験等を紹介するものである。年数回あるトレーニングセッションに現在出席している。参加者は各セメスターごとに1、2度、学校を訪問する機会がある予定である。アメリカ教育の現場を見ることと日本の紹介が同時にできるすばらしい機会であると思っている。
 10月に入り、CIVIC(Council for International Visitors to Iowa Cities)主催による会合に出席した。そこではアイオワ選出下院議員の方のお話を聞くとともに、地域の人々と会話をすることができた。
学業面での様子
 今年6-8月にかけて、修士論文のためのフィールドワークをペンシルバニア、ランカスター地区で行った。そこでは様々な方々の助けをかり、インタビュー中心の調査をすることができた。現在、そこでのデータをもとに、論文用に分析を進めているところである。
 その他の授業は、言語、文化等の違いからやはり様々な挑戦や困難に出会うときが多いが、友人、先生がたのあたたかいアドバイスによって、有意義な経験となっている。
その他
 地区のホストカウンセラー、Mr. and Ms. Meis, Mr. and Ms. Carpenterさんには、いつも様々な形で助言、励ましをいただいている。特に感謝祭、クリスマス、イースターといった祝祭日は、留学生にとっては特に家族を思いだし、さみしさを感じるときでもある。そのようなときに、カウンセラーの方々からの家庭へのお誘いはたいへんありがたく、感情、精神面で大変なサポートであると思って感謝している。またロータリーを通じて多くの大学外の地域の人々と交流を持つことができることは、私の留学期間中での経験をより豊かにしているものであると強く感じている。




最終報告
2000〜2001年度ロータリー財団奨学生 尾和 潤美(和泉RC)

留学生活
 サセックス大学はロンドンから電車で南に約1時間の所に位置するブライトンという町にあります。初めの英語コースに通っていた1ヶ月はホームステイ、その後半年間はブライトン郊外の大学内にある寮、そして最後の半年間はブライトン市内にある大学が経営するフラットで生活をしました。引っ越しは確かに大変でしたが、それぞれの場所で友だちを作ることができ、良い経験をしたと思っています。
 ブライトンは音楽と芸術の町であり、また新しいものを取り入れようという風潮もあり、どちらかといえば若者の町だと思います。夏になると、海岸を観光客が埋め尽くし、典型的なリゾート地になります。その分、修士論文を書いていた時期に街中の騒音が増えたので、静かな大学敷地内にある寮に引っ越した友達もいました。幸運にも私の住んでいたフラットはブライトン市内でも比較的閑静な場所にあり、被害を被ることはありませんでした。
 食事は主に自炊をしていましたが、ブライトン市内に引っ越してからは時々外食をすることもありました。中心街にはイタリア料理、中華、ギリシャ、インド、タイなど多くの国のレストランが建ち並び、その中で日本のレストランも数件ありました。日本文化(に限らずアジア文化)はイギリスではまるでブームのように、特に若者の間で受け入れられています。ちなみに、イギリスで私が一番恋しかった食べ物は、ほかほか弁当でした。(あれほどたくさんの種類のお惣菜が入っていて、しかもお手頃の値段で食べることができるのは、まさに日本文化の賜物だと思います。)
 大学寮では毎週のようにパーティーが行われていました。私は月に一度の割合で参加していましたが、一口にパーティーといっても欧米人主催と、アジア人主催のパーティーには違いがあるなぁと実感しました。というのも、概して欧米人のパーティーでは人数が多く照明は暗く、音楽は会話をするのに叫ばないといけないほどの最大音量でかかっています。それに比べてアジア人のパーティーでは、顔見知りの人たちが明るい照明の中、食事をともにしながら会話を楽しむという形式で、日本人の私にはアジア人主催のパーティーの方がなじめました。

大学でのコース
 私はサセックス大学のComparative Study of Culture,Development and Environment という研究機関で、MA in Rural Development の修士コースに在籍しました。大学では、秋学期に二つ、春学期に二つのコースをそれぞれとり、夏に修士論文を書き上げました。クラスメートは半分以上が留学生で約20人中日本人が6人と、日本人の割合が多かったです。授業の形態はコースによってさまざまですが、基本的に1コースにつき週2回の授業のうち1回は先生が講義をし、残りの1回はゼミ形式で行われました。成績は学期と学期の休み期間中に書く、5000字のタームペーパーで100%評価されます。ですから、休みといっても留学生にとっては初めて5000字という長さのペーパーを書く人が大半で、休み期間中に図書館やコンピューターセンターで友だちに会っては「休みといっても、休めないところが辛いね。」と愚痴を言いながらもお互いに励まし合ったものでした。
 タームペーパーの頃になると、それぞれの指導教官と相談しながら構成を考えます。私は日本の大学院を知りませんが、友だちの話では日本の大学院指導の方が丁寧だということでした。確かにイギリスの大学院は1年間ということもあって、学部の延長といった感じを受けました。実際日本の大学院よりも生徒数は多く、そのため個人個人に対する指導は希薄になってしまうのかもしれません。といっても、指導教官も様々で実際、生徒側が意欲を見せ積極的に指導を仰げば丁寧に指導をしてくださる先生もいらっしゃいました。

ロータリー活動
 私は1250地区にある、Brighton Soiree というホストロータリークラブにお世話になりました。以下が、私が出席したロータリークラブに関する活動です。
 9/26 Burn Dance(ホストRCパーティー)
 9/29ー10/1 Link 2000(イギリスにおけるRC
 奨学生の会合)
 10/25 1250地区奨学生会合
 11/ 4 1250地区地区大会
 11/16 R.C.of Brighton Soiree(例会)
 2/12 R.C.of Crawley(例会)
 3/28 R.C.of Brighton(例会)
 5/17 ロータリークラブ婦人会
 ある例会では、ブライトン市長に会うことができ、また他の例会では浴衣を着て友達は生け花を、私はお茶を披露しました。このように、地元の方々との交流を深めることができたのも、ロータリー奨学生として留学させていただいたお陰だと思っております。
 さらに、ホストロータリアンのMartin & Jenny 夫妻には幾度となく家に招いていただき、食事を頂きました。特に、クリスマスには厚くもてなしていただき、本当の娘のようにかわいがっていただきました。また、日本に帰国する前夜も家に泊まらせていただき、空港まで見送りに来てくれました。

最後に
 6月中旬から7月にかけて就職活動のため、一時帰国をしました。将来は国際協力・国際開発に関する職に就きたいと考えていたため、それらの職に焦点を絞りながら活動をしましたが、なにしろ修士論文を書きながらの活動だったため、精神的につらい1.5ヶ月でした。幸運にも、希望の就職先から内定をいただき、来年4月から東京で働くことになりました。それまでの半年間は、インターンシップもしくはボランティアを通して何か開発途上国に役立てることができたら、と考えています。
 留学中は先が見えず辛い日々を送った時期もありましたが、それらの苦難を乗り越え無事に帰国できたことは、日本で応援してくださった方々はもちろんのこと、留学先で出会い、支えとなってくれた多くの方々のお陰です。今回の留学で、人との出会いがいかに大事かを教えられ、また私の人生は人との出会いによって出来上がっていると、改めて実感しました。留学中の経験を今後の人生に多いに生かし、世界平和のために貢献していきたいと思っております。

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