〜 第二部 〜
インターシティー・ミーティング



〔4〕

 例えば、埼玉医科大学の理事長が、私の大学卒業までスポンサーをして頂きました。そして休みのときに病院のボイラー室でアルバイトをさせていただきました。そうすると、ボイラー室の技師や仕事をする方々は、とにかくボイラーとかをきれいにするんです。私たちからすると、どうせ汚れるものをなぜここまできれいにするかと思いました。ましてや勤務時間は交代があるし、誰がきれいにしたかわからないじゃないかと思って、最初は自分たちの価値観で見るものですから、かえっておかしいと思ったんです。ちょっと神経質過ぎるんじゃないか。やがて私の同僚たちが日本にホテルのマネジメントの勉強にきました。彼らが言うには、日本の人たちは、例えばベッド・メーキングとか何でもやるわけです。向こうから来る人たちは、自分たちはホテル・マネジメントを勉強しに来た。なぜベッド・メーキングをしなければならないか。ましてや仕事をするのを恥ずかしがるんです。日本人はみんな積極的にやって、自分の仕事が終わったら友達の仕事を手伝います。
 私に言わせると、日本のCIというものが出てから、逆に日本の会社のアイデンティティがなくなったと思います。それまでは、皆さんそれぞれ暖簾を大切にしました。そして自分たちが先輩たちから受け継いできたものをきちんと継承して、後輩にそれを受け継がせることに対して情熱がありました。
 埼玉医大の理事長の従兄弟が池袋で病院を経営しています。大学に通う都合で、そこでも私は仕事をしました。最初の2〜3週間はとにかくうれしくてしようがなかったです。なぜかというと、仕事が終わったら、日本の上司の方々は、「ちょっといいか。」と言って下の食堂へ連れていって、あるいは時と場合によっては外へ連れていってもらって、ビールをおごってもらって、ラーメンをおごってもらって、その上、自分がそれまで苦労して得たすべての知識を何も惜しまずに伝授してくださるんです。しかもどうやったらあなたが仕事を能率よくできるかということを教えてくださる。ですから、最初私は、自分だけが期待されていると思って早く帰ってきたんですけれども、そのうち、どうやら私だけではなくて、ほかの人にも同じことをやっていることがわかって、だんだんがっかりしてきたんです。
 あるいは、日本の社会における、例えば社長と社員の関係、社長の奥さんと社員の関係、運転手と社長の関係、恐らく世界でこんなに平等な社会はないですよ。恐らく世界でこんなにコミュニケーションがうまくいっている社会はなかったと思います。会社の大きさにもよるでしょうけれども、私はもちろんそのとき、日産やトヨタなどは知りませんでした。少なくとも私のいた地方の会社の社長さんは、社員と同じ食堂で食事をして、場合によっては同じユニフォームを着て、そして運転手さんとは友達のように普通に接しているんだけれども、運転手さんは、特に人の前ではきちんと無言のルールを守っている。しかも運転手さん自身もその会社にとってなくてはならない人間である。本人もそういう気持ちがあるし、ほかの人も同じ気持ちだと思います。
 今、名前を言ってはまずいかもしれませんけれども、日本で非常にもうかっているある証券会社の社長さんが、「日本は本当の競争社会を知らない。本当の競争社会は500社ぐらいしか生きていけない社会だ。自分はその成功している人だ。」と書いているんですけれども、私は多分、近い将来、その方はどこかでつまずくと思っています。今までも私は一応仏教徒で、優しい気持ちを持つべきですけれども、ときどき「ざまあ見ろ。」と言いたい人でいて、そのとおりになる人がいるんです。
 私たち、特に外国の人たちは、先ほど話した日本の物に対する信頼、日本人に対する尊敬の気持ち、それは確かに戦前の日本人に対して中国や韓国のように特別な理由で嫌う人がいるかもしれません。しかし、その嫌っている人たちも最後は、日本人はどこかで尊敬して、日本人から学ぼうとする気持ちはあったと思います。それは、日本人は何か物をつくるときにネジ一つ回しても、そのつくる物に必要な具合で正確にやってくださるという信頼があった。一方、つくる側も、私がここで失敗したら同僚に迷惑がかかる、会社に迷惑がかかる、自分自身の生活に直接関係するものだという考え方があるんです。これが日本が世界に対して大きなコマーシャルをつくらなくても、世界から日本が信頼される、日本の品物が信頼される最大のコミュニケーション方法だったと思います。
 不幸にして、1970年の大阪万博を境にして、このコミュニケーション方法も生き方も変わりました。日本は1970年の大阪万博を境にして、いわゆる先進国になり、そして日本が明治維新以来、国家百年の目標であった西洋に追いつくことに成功したんです。そこで多分達成感があったからかもしれません。あるいは、Japanese number one のように周囲からもちやほやされ、そしてもちろん日本の成功は世界じゅうの研究対象になりました。日本がなぜ奇跡を起こしたか。1970年、つまり日本が戦争に負けてわずか25年間、4分の1世紀で国を再建し、しかもかつて達成できなかったことを今度は平和裡に経済を通してある意味で達成してしまった。これが、総理大臣がどんな美しい言葉で、大学の教授たちが頭を絞ってどんなきれいな論文を書くよりも、日本人みずから示した世界に対する実例です。
 2000年9月、日本の森首相が南アジアの国々を訪問しました。森首相の訪問目的は、一般的には日本が国連の安全保障理事会の常任理事国になるための根回しというか、支持を得るためだということになっています。もちろんこれは表向きの目的であったことは間違いないと思います。裏の目的は、そのちょっと前にアメリカのクリントン大統領が20機の飛行機をチャーターしてインドへ行きました。そしてインドという国は無限の可能性を持っている国である、インドという国はもはや後進国ではない、アメリカ合衆国のNASAの3割近くの職員はインド人である、シリコンバレーの40%近くはインド人である、インドの工業関係の7つの大学は世界基準の平均をはるかに超えている、トップである。クリントンさんに同行したオルブライトさんもそのインドに最大限の賛辞を送ってお世辞を言って、優秀な人たちを引き抜きました。そしてたくさんのことを約束しました。その約束する過程の中において、多分後始末のようなもの、特に金のかかることは少し日本も協力しろということで、急遽森首相がインドへ行かれたんです。
 このときに、バングラデシュの大統領が、もちろん表面的な日本の当時の森外交の一つの目標であった国連の安全保障理事会の常任理事国になることは大賛成である。ただし、これは今私たちが日本からたくさんのODAをいただいているからではなくて、日本が私たちに与えた希望、つまり日本の国そのものが廃墟とされたところからここまでやってきたという、人間はやればできるんだということを私たちに示した希望に対して、日本人に敬意を表して、バングラデシュとしては1票を投じたいということを申されたんです。
 その年、実際国連でどうなったかというと、いわゆる第三世界の国々の反対によって実現しなかったんです。なぜか。多くの国々は、今日本が何を考えているか、国連そのものをどうしようとしているかということが明確ではない。ただアメリカがもう1票増えるだけだったら意味がないというのが問題です。そこで、今日本が世界に対して十分にコミュニケーションがとれていない。今日本の存在が正確に理解されていない。今日本が国連を必要とするよりも、本来は国連が日本を必要とする度合いの方がはるかに高い。確かに金の上ではアメリカの方が日本よりもわずか多く献金していることになっている。27%です。実質上は日本が27%ぐらい国連の維持に貢献している。アメリカは自分たちが気に入らなければ、事務総長をかえないと会費を滞納するとか、ユネスコとESFが第三世界だけに牛耳られたら退会するとか、常に自分たちの国益及び都合で態度を変えている。今日本は、そういう意味では仏のような気持ちで、何一つ条件をつけずに国連のために貢献している。しかし、私はコミュニケーションということを見ていて、日本国民も政府も、やや下手ではないか。なぜ下手か。それは多分、言葉や表面的なものに少し力が入り過ぎていて、もうちょっと精神的な面を重視すべきじゃないかと思っております。
 私は日本に来て、幾つか意味のわからない言葉があったんです。その一つに、1960年代から70年まで、「お土産話」という言葉がありました。「お土産話」を英語やチベット語に訳したりしても余り意味にならないです。直訳はできるんです。普通私たちが「お土産」と言うのは物なんです。しかし、今から35年前、日本においてお土産話というのは価値があったんです。ロータリーのメンバーとか県会議員の方々は、大阪ロータリーは知りませんけれども、埼玉では、今から35年前まではそういう方々しか外国に行けなかったんです。そしてそういう方々、特に県会議員などは、名刺の裏に訪問歴を書いて、これだけの国へ行きましたということが自慢になった時代があったんです。
 そのとき、行くときは1人500ドルしか正式に持っていけないから、餞別をいただいたりしても、どこかの闇市で買ったかわかりませんけれども、持って帰ってくるときに、それこそ日本の税関でジョニー・ウォーカーだったら1本、たばこだったら9カートンとか、そういうことしかできなかったんです。そうすると、皆さん一人一人にお土産をあげるかわりに、そういう人たちが帰ってきて報告会・お土産話をした。そのお土産話を聞く人は、本当に目を輝かせていました。なぜ私が知っているかというと、外人だからロータリーとかにたまに呼ばれるわけです。あるいはそういう報告会にも呼ばれるわけです。そこで行ってきた人が、本場のフランスパンはこんなにおいしいんだよ、こうやって食べたらおいしいとか、機内の食事にフォアグラが出て……とか言うと、みんな口から唾液が出るぐらいにうれしそうな顔をして、メモを取ったりして勉強したんです。要は、コミュニケーションを含めてあらゆることに、一つは時代感覚が必要です。
 もう一つは、情報ということに限って言えば、目的があって初めて情報が必要となってくる、情報の価値が出てくる。きょうは女性の方もおられますから許していただきたいんですが、小沢一郎さんがかつて自民党を出ました。このときに、世界で一番価値のないものとされている大便──普通、私たちは糞食らいだとか言います。大学の先生として下品な言葉ですが、これは勉強だと思ってください。そのときもし小沢さんの便が少しあったら、特に迷っている人たちには多分1千万円、あるいは売り方次第ではそれ以上の価値があったと思います。一緒に行こうか、残ろうか、どうも世論としては小沢さんと一緒に行った方がよさそうだけれども、うわさとしては小沢さんは糖尿病を持っている、心臓病を持っている。それで迷った人たちが実際にいたんです。ですから、目的がはっきりしていれば、何が必要かということによって情報の価値が違ってくるんです。



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