〜 第二部 〜
インターシティー・ミーティング



〔5〕

 今、日本が世界に対して存在感がないのは、多分目標が定かではないからです。明治維新以来、日本は豊かになること、西洋の国々に追いつくことが目標だったと思います。もちろん明治維新のときは周囲のすべてのアジアの国々が植民地にされていた。その中で独立を維持し、国家として継続するカケに出たんです。そのときの日本は、西洋の文明・文化はあくまでも日本の目的を達成するために手段として取り入れたんです。その手段として取り入れた、例えば外国語の教育は、私は見事に目的を達成したと思っているんです。 もちろん、今の時代に同じやり方は合わないかもしれません。なぜならば、1970年代ですらも日本全国で500名ぐらいしか外国人の留学生はいなかったんです。日本じゅうの人たちが英語をしゃべっても意味がないんです。フランス語をしゃべっても意味がないんです。誰としゃべるんですか。しかし、世界じゅうの新しい情報、新しい発見は、すぐ日本をやっつけたんです。日本人は、「The 」だけでも1冊の本を書ける立派な学者がいるんです。ですから、私は、明治維新の人たちの方が今日の人たちよりもはるかに国際人であったと思います。彼らは地球的規模でものを見たんです。グローバリゼーションということは、決して世界じゅうの人が同じような服装をして、同じような価値観を持つことではないんです。地球的規模でものを見るかどうかだと思います。
 最近、私はある笑い話を聞きました。アメリカのどこかの入管である女性のパスポートを持って係官が、「君は違う人物だ。このパスポートによるとあなたは髪の毛が黒くて、目は茶色だ。あなたは目は青いし、髪の毛は赤じゃないか。」その女の人は「わからない。」それだけです。大事なことは、アメリカ人みたいな格好をして、青い目玉を入れても、それは国際化でも何でもない。クローン、コピーで、本物ではないです。その質問に対して、「私は今これがこうこう。」と言えたら、それは多分国際化時代に対応することだと思います。
 今、各会社はグローバリゼーションだと言ってみんな同じようなことを考えている。日本が生き抜くためには、本当は日本ならではのものは何か。例えば、かつて英国がインドをベースにして繊維関係はナンバーワンだった。日本がそれを奪った。車もカメラも時計も、銀行の金融機関まで日本は世界ナンバーワンになった。なった時途端に、日本人はだめだから今の状況になったわけではないんです。日本についてたくさん研究した人たちがJapanese number one のように世界に対して赤信号を出したんです、特にアメリカに対して。そして日本人、日本の政府に手かせ足かせとして、先進7カ国首脳会談というのができました。
 あれ以来、皆さんが幾ら努力しても、働く時間まで向こうが決めるようになった。日本人は働き過ぎだから労働時間を短縮しろ。日本の銀行が世界の1から10番までに7つも入っているから日本は銀行の金融レートを下げなさい。日本の車はアメリカに輸出し過ぎるから経済摩擦も起きている。回避するためには日本は輸出する車の数を制限しなさい。これは全部向こうのコミュニケーションがうまいんです。日本人自身が何かしなければならないのではないかと思う。自分の首を絞めるように、寝ている間に催眠術をかけられたように、今、構造改革というものをやっております。
 日本にいる外国の会社は、終身雇用制を初め、日本的経営ノウハウを一生懸命勉強して、日本で成功しよう、世界で成功しようとしているんです。日本の経済担当大臣は、年に何回か自分の住所をアメリカに移したり日本に移したりして、どこに税金を払った方がいいということをちゃんと考えているわけです。
 やはり日本が足りないのはコミュニケーションで、情報戦争に負けている。過去50年間、日本は経済的には、特に明治維新以来100年かかって大阪万博で達成したと思います。もちろん多大な犠牲を払っているわけです。たくさんの日本人の血と汗の結晶としてその成果があるんです。それまでの日本人のアイデンティティはどこにあったか。学校だったら小さな襟章にあったんです。会社だったら、それぞれ自分の会社の暖簾とか小さなバッチがあったんです。
 コミュニケーションの中で大事なことは、自信を持つことです。そして自分がしゃべっていること、自分がしようとしていることを本当に自分が理解しているかどうかだと思います。自分が理解してないカタカナを使ってネゴシエーションをやったりしても、余り意味がないと思います。
 きょうは、ロータリーの会員だったら基本的には社長さんとか、長のつく方々ばっかりだと思って、少し内容を変えて話をしているんですけれども、最後に、日本から何を発信するか。先ほど申し上げましたように、明治維新まで日本は国家的な目標があったんです。今、目標がないですね。グローバリゼーション、IT革命が見えてこない。日本人一人一人が携帯電話を持つことがIT革命か。今は電車の中でもどこでも親指ばっかり動かしていますね。そのうち多分指だけ発展したものになる。その人たちは自分が使っているエネルギーはどうやって確保するんだ。原子力発電を初め、反対、反対はするけれども、ではどうやったら維持できるかということを考えているでしょうか。
 最近、日本はどこへ行っても水がたくさん売られています。特に女性で健康を意識するモデルさんは、テレビ局へ行くとみんな自分の水を持っております。この10年間で水のための国際紛争がどれだけあったか、これから先どうなるかということです。今、長野の人たちは、四国の人たちに水の問題があっても関心がないんです。1964年の東京オリンピックの後に私は来たんですが、まだ興奮がにおっていました。そして万博のとき、国じゅうが盛り上がりました。今、大阪がオリンピックをやりたいと言っても、大阪以外の日本人は余り関係がないんです。愛知で万博をやろうと言っても、「ああ、いいね。やったら行こう。」
 そのような時代の中において、私が日本に来たとき、「お元気ですか。」と言ったら、「おかげさまで。」という言葉が返ってきた。「商売どうですか。」と言うと、「おかげさまで。」という言葉があったんです。「勉強は……。」と言うと、それも「おかげさまで。」だったんです。
 私はあるとき、日本である試験に合格しました。とてもうれしくて、あのときはこんなに太ってなかったから、山を走っていますと、先生が下ってきまして、「どこか行くか?」とおっしゃったから、「先生、私この試験に受かってこうこうだ。」と言ったら、「じゃあスポンサーのところへ行って、おかげさまで受かりましたと言うんだよ。」とおっしゃったんです。私は気持ちがハイになって早く行きたいから、それにおかげさまでという言葉は何回も聞いているから知っているつもりで、「はい。」と言って何歩か歩いて、ちょっと待てよ、私が勉強したのに何でおかげさまでと言わなければならないか。ここでおかげさまでと言ったらかえってお世辞を言っているようなことで格好悪いと思って、私はとうとうスポンサーのところで、今から35年前では、「おかげさまで試験に受かった。」という言葉は言えなかったんです。照れ臭かったんです。それはその言葉のニュアンスがわからないだけではなくて、多分その言葉の持っている哲学、文化を知らなかったんです。
 今、地球化時代、環境問題、さまざま考えると、この「おかげさま」という言葉はとってもすばらしい言葉だと思うんです。あれから30何年にわたって日本で生活して、私自身も50近い年になって、その中でいろんな経験をして、「おかげさまで」という言葉がやっと少しわかったような気がします。私が日本に来る前、インドとパキスタンは戦争をしていました。人間の人生というのは、それこそ仏教で言うすべてが無常ですね。私が生まれて7歳ぐらいまでは、自分の家に豹も熊も鹿も飼っていました。トイレへ行くにも2人ぐらい人間を連れていったんです。それがある日、突然難民になって栄養失調になって、難民学校から何とかキリスト教の団体に助けてもらってミッション系の学校に行って、それから日本に来たわけです。その日本に来て30何年もたって、やっと今ごろになって「おかげさまで」ということを素直に言えるようになったし、また「おかげさま」という言葉の意味が少しわかるようになってきたんです。
 そこで私は、今日本がやるべきことの一つは、まず国家の目標をきちんとすることだと思います。今やっている国際化というものは、あくまでも明治維新のときに目的を達成するための手段だったにすぎない。その手段がいつの間にか次の目的がないままひっくり返ってしまって、あたかも目的であるかのようになっているにすぎないんです。国際化をやるんだったら、国際化の目的は何であるか、それを達成するための手段は何であるかということが必要だと思います。



←BACK     NEXT→