〜 第二部 〜
インターシティー・ミーティング



〔7〕

 副SAA茨木孝一 どうもありがとうございました。
 続きまして、貝塚コスモスロータリークラブ・藤田 修会長、よろしくお願いします。

 貝塚コスモスロータリークラブ・藤田 修会長 週5日制などの教育改革と言われているものをどう思われますか。

 ペマ・ギャルポ博士 もう週休2日制は実際やっているんですね。このままだと、多分5年以内に日本はインドやサウジアラビアみたいになると思います。それはどういうことかというと、金持ちの人たちは、例えば子供に家庭教師を雇ったり、どこか塾に行かせたりしてもいいんですが、全部ができるわけではないと思います。そうすると、子供は家の中でじっとしているかというと、じっとしてないです。ましてや今の社会では、子供が遊びをするにしてもお金がかかります。どうするかというと、子供はそのうちこそ泥をやったり、物を壊したりすることで自分の不平不満をぶつけることができる。だから、今まで日本の方が外国へ行って帰ってくるときに、とにかくその国の子供たちが町であふれている、学校へ行っていないということを皆さん心配してくださって、そのためにロータリークラブは第三世界、特に私の文化圏はたくさんお世話になって、学校などをつくっていただきましたけれども、私は、週休2日制にすれば、子供たちがどんどん遊ぶようになって、社会の秩序がもっと悪くなると思います。
 だから、週休2日制よりも、むしろ、今子供が少ないですから教室が余っているんです。それから若い人たちの失業者が多いです。お釈迦様のときは1人の先生が把握できるのは25人だったんです。ですから、1クラス25名ぐらいにして、大学を卒業した人たちは全部生活できる程度の安い給料でインターン制をつくって2年間ぐらい働かせて、それから社会に出るというようなことで、本当はむしろ土曜日はそういうことに使った方がいいんじゃないかと思っています。

 副SAA茨木孝一 ありがとうございました。
 続きまして、泉佐野ロータリークラブ・西 薫会長、よろしくお願いします。

 泉佐野ロータリークラブ・西 薫会長 海外出張の折などに見る日本人をどのように評価なさいますか。

 ペマ・ギャルポ博士 1970年までは、私は6年間、日本人に対して不愉快な思いをしたいことはないんです。1975年に私は初めてインドへ帰りました。飛行機の中で出会った日本人は余りよくなかったんです。まず一つは、多分日本の円が強いからだと思うんですが、国内にいると皆さん、お互いに非常に丁寧だし、余り傲慢ではないんです。外国に出ると何でもお金で買えると思っているところがあって、特に私の印象としては、飛行機の中で食事を終わった後、通路を歩き始めるんです。片手で爪楊枝で歯を掃除しながら、あのころはまだ腹巻きの中にお金を入れていましたから、そこに手を突っ込んで、ハスキーな声で「姉ちゃん、姉ちゃん」と言っていろいろ無理難題なことを言って、多少飲んでいますから、そのまま相手の国に乗りつけたら、昼間からしてはならない買い物をし始めるとか、それから昨日も私、モンゴルから帰ってきたんですけれども、関西空港でショッピングしているんです。ショッピングすること自体はいいことだと思います。だけど、ショッピングして、例えば荷物と一緒に送るとかすればいいかもしれませんが、とにかくいっぱい箱を持って、ほかのお客さんに対する迷惑を考えない。かつて日本人は迷惑ということに一番気を使ったんだけれども、迷惑を考えない。
 だから、強いて言えば、日本人の迷惑心は日本に置いていって、外国に非常に迷惑をかけている傲慢な部分がある。その辺は少し謙虚になっていただきたいと思います。お金で買えないものもあるということをぜひ知ってもらいたいと思います。

 副SAA茨木孝一 ありがとうございました。
 続きまして、りんくう泉佐野ロータリークラブ・目 岩男会長、よろしくお願いします。

 りんくう泉佐野ロータリークラブ・目 岩男会長 在日当初の日本と現在の日本は変わったと思われますか。

 ペマ・ギャルポ博士 大きく変わりました。実は今回、モンゴルでも、私は「何が日本を世界一の経済大国にしたか」というテーマで講演してきたんです。そのとき私が言ったのは、私がここで言っていることは過去の日本である。現在の日本ではない。過去の日本からは我々世界じゅうの人たちが学ぶことがたくさんあるし、そして過去の日本人を見ている限りにおいては、日本人は世界一ではないにしても、極めて優秀な民族であるということは立証済みだ。なぜかというと、あの戦争によって日本に残されたのはほとんど廃墟化された工場で、場合によって人間の日常生活まで困るような状況まで行った。だけど、それが奇跡のようにここまで立ち直った。それはすばらしいことです。
 私が日本に来たとき、日本が登り竜のように上へ上がっているときだったんです。しかも、道徳観念とか日本人の社会の秩序──きょう私はここのだんじり会館へ行って、あそこにピラミッド式の組合の上の一番偉い人から書いてありました。あれを見て、私は逆にホッとするんです。今、そういう文化を破壊しているんです。かわりのものをつくっていない。日本においては、中国の文化大革命のようなものを今行っている。外国の場合には、多くの場合、民族浄化という言葉がある。民族浄化という言葉は、相手の国の文化とかをなくして同化してしまうということです。日本人はみずからこれを国際化と名乗って民族浄化をやっているんです。これが非常に残念だと思います。
 1970年ごろまでの日本は、とにかくエネルギッシュだったし、目標もあったし、謙虚さもあったし、謙虚の中に頑固さもあった。だから、私は大きく変わったと思います。それは1970年を境にして変わったと思います。大きく言えば、1945年から田中角栄までを一つにして、そしてその後の日本が政治文化的に非常に変わりました。そのうち時間ができたら本を書きたいです。またそれを楽しみにしてください。

 副SAA茨木孝一 ありがとうございました。
 続きまして、関西国際空港ロータリークラブ・川上寛一会長、よろしくお願いします。

 関西国際空港ロータリークラブ・川上寛一会長 日本人の社会ではあうんの呼吸、それから「おれの目を見ろ。何も言うな。」というような日本人特有の気質がございますが、これが本当に世界に通じるような言葉かどうか、よろしくお願いします。

ペマ・ギャルポ博士 日本の場合には、鎖国政治そのものもあったし、その後も自然環境等によって周りが海だったということもあって、長い間一つの民族──国連では今、一つの民族として見てないんです。日本は多民族国家として認定されていますけれども、現実的には、特に明治維新以後、共通の教科書を使って、共通の言葉を使ってやってきていますので、日本人同士はあうんの呼吸で済むんですね。旦那さんが「おい。」と言ったら、奥さんがちゃんとお茶を出すとか、そういうことを長い間お互いにやっていれば、その中に多分、常に相手に関心持つということがあったと思うんです。相手のニーズを考える。だから、日本は物をつくるにしても、商売のときも、売ることだけではなくて、使う人の立場に立って日本は長い間物をつくってきたんです。ですから、あうんの呼吸というのは、信頼関係があれば当然過去においても機能したし、未来においても機能するんだろうと思います。
 そのような文化ができないのは、私たちのようにたくさん言葉を使って説明しなければならないのは、お互いに気持ちがわからないときに言葉をいろいろ使ったりしなければならない。ましてや、人をだまそうと思ったら、なおさら頭をうんと使わなければならない。だから、あうんの呼吸というのは、今世界全体にすぐ通用しないけれども、通用するようなものになるためには、行動でお互いに信頼を勝ち取っていけば当然なると思います。ですから、日本人は“ I love you." と言わなくても、1日6回ぐらい“ I love you." と言うぐらいのことは、旦那さんは自分の家庭を守ることによって、奥さんに対して心配させないように毎日ちゃんと生活できるようにすることによってやってきたと思うんです。それを世界に対してやれば、あうんの呼吸は通用する。そうでなければ、日本人同士でも通用しないと思います。



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