〜 第二部 〜
インターシティー・ミーティング



〔8〕

 副SAA茨木孝一 ありがとうございました。
 続きまして、泉南ロータリークラブ・山本昇三会長、よろしくお願いします。

 泉南ロータリークラブ・山本昇三会長 チベットの人たちと日本人との共通点を何か感じられたことはありますか。

 ペマ・ギャルポ博士 今まで私が見た日本人は、人の苦しみとか悲しみに対してはお互い助け合ったりするんだけれども、人がそこから断トツに出るとか、うんと成功すると、必ずしも同じように喜べないところが、もしかしたらあるのかなと思ったりするんです。それはどういうことかというと、例えば大きなところで言えば、リクルートの江副社長に対する経済界などからのある種の冷たさというか、そういうものを見たし、チベットも出る釘は打たれるというところは多分同じかなという感じがするんです。
 それから、日本人もチベット人も、人のために涙を出すんですけれども、涙を出すところで終わることが多いです。例えばキリスト教の人たちだったら、奉仕活動としてもう一歩前に出る。テレビを見ても、私たちは悲しい場面を見るとすぐ涙を出す。チベット人も多分、「かわいそう」という言葉は使うんですけれども、大事なことは、そこから一歩出て、その悲しい状況をなくすためにどうしようかということは、チベット人も日本人も欠けているような気がします。

 副SAA茨木孝一 ありがとうございました。
 続きまして、阪南ロータリークラブ・木村利弘会長、よろしくお願いします。

 阪南ロータリークラブ・木村利弘会長 日本人は人の触れ合いの中で義理とか人情とかを大切にすることが多いのですが、そんなものは国際化社会の中で通用するんでしょうか。

 ペマ・ギャルポ博士 日本人の目に入っている国際社会というのは、アメリカが大きいんですね。アメリカというのは、国の成り立ちから言っても、非常に反発精神というか、異端視的な状況から、特に宗教弾圧等があってほかへ行って国をつくった。だから、自分たちに伝統・文化がないもんだから、最初から伝統とか文化とか秩序とかに対して非常に嫌う要素があります。ですから、人間関係等についても、非常に浅い部分であっても友達になって握手するけれども、真の意味でお互いに尊敬し合って、そしてある一定の秩序を守って付き合うということはできないと思いますが、ヨーロッパの国々やアジアの伝統・文化のある国々においては、日本人と同じように義理・人情というのは通用すると思います。
 実際、外国の本を見ると、例えば『菊と刀』を書いたベネディクトにしても、決してそれは否定はしてないでしょう。あれは日本人の義理・人情を否定する本ではないんです。きちんと日本を勉強する人たちは、日本人の義理・人情を高く評価しているし、私自身はとてもいい、そういうことは私たちアジアの他の国々も学ぶべきだ、しかも私たちの共有の文化だったとも思っているんです。法律などで決められることではなくて、自分たちみずからある一定の秩序を守っていく。例えば、私は今でも自分より目上の先生だったら、できたら影を踏まない程度で歩きたい。それは別に誰からも強制されるものでもないけれども、そういうことは大事だと思っているんです。ですから、私は日本の義理・人情を初め、そういう秩序は非常に必要だと思います。

 副SAA茨木孝一 ありがとうございました。
 それでは最後に、岸和田ロータリークラブ・中山堯之会長、よろしくお願いします。

 岸和田ロータリークラブ・中山堯之会長 最後の質問になりました。よろしくお願いします。ヨーロッパを見ておりますと、今現在、EUという形ではなくて、ユーロという形で新しく一本化なっておりますけれども、大きなマーケットを持つようなアジアの中でもそういう相互関係をさらに密接に持っていかなければいけないものなのでしょうか。

 ペマ・ギャルポ博士 この質問はちょっと時間がかかるかもしれません。
 私は、まず芽生えることだと思うんです。人間は何でも考えることだと思うんです。EUも最初は2〜3名の人たちの個人的な会話の中から出てきた夢だったんです。ですから、例えば今、そういう質問をするということ自体、そろそろアジアにもそういう考え方が必要だということで、芽生えつつあると思います。それで、本来でしたら、タゴールとか岡倉天心とか、そういう方々の方がヨーロッパの人たちよりも先だったんです。ただ、残念ながらこれは途中で挫折せざるを得なかった。だから、もう一回「Asia is one(アジアは一つ)」という考え方を私たちがいかに普及できるかということだと思うんです。
 そしてその Asia is oneという中において、見ると服装にしても食生活もみんな違います。大事なことは、運命共同体としてそういう意識があるかどうかだと思います。それを考える場合に、日本が持っていないもの、インドが持っていないもの、中国が持っていないもの、いろいろ考えた場合に、私たちが最終的には人類の幸せを考えるわけですけれども、その前に、まずアジアがもっと文化的にも精神的にも経済的にも交流できる環境をつくることが大事だと思います。
 そのためには、一つは、日本が過去のことについて余り謝らないでほしいというのはそういうことなんです。いつまでも目に見えない壁をつくる必要はないと思うんです。例えばこの10年間でベトナムと中国は3回ほど、実際死傷者を出す戦争をしているんです。だけど、別に国交断絶していないんです。謝罪もしてないんです。インドと中国はこの50年間で3回戦争をしました。謝罪していないんです。アメリカ合衆国のかつての捕虜は、今、ベトナム大使をやっています。そして彼が刑務所に入っているときに拷問にかけた将軍が彼を出迎えに行っているんです。ですから、もうちょっと日本は世界の中の状況を把握してもらって、少なくとも日本がもし罪悪感のようなものを持たなければならないんだったら、それは行動で直せばいいことであって、もうちょっと積極的にアジアの発展に貢献してもらいたい。
 とりあえずは、例えば日本に対して恨みつらみがない南アジアに目を向けてほしいと思います。南アジアのタイから向こうへ行くと、例えば世論調査でも、日本は常に行きたい国の断然トップなんです。これは今のところ一方通行の片思いのような様相がありますけれども、これが相思相愛になれるような環境をつくったらすばらしいと思います。インドだけで去年、人口が10億人になりました。バングラデシュとパキスタンを足すと3億人です。これだけで中国と同じぐらいの人口になるんです。日本は13億人の人口の中国は必要だと言うけれども、もうちょっと向こうに行くと、さらにインド洋の国々を入れると、中国をはるかに超える人口があるんです。しかもこれらの国々は、長い間英国の植民地だったから、英語を使えるんです。インドの場合には、20%以上の人たち、つまり日本の人口の倍ぐらいは日常に英語を使っているんです。それから法律が整備されている。インドの場合には、この50年間、独立して以来一度もクーデターが起きていないんです。あくまでも選挙によって民主的な方法で政権交代をやっているんです。
 ですから、もうちょっとその辺に目を向けて、まず日本と関係をよくして、それから東南アジアの場合には多少かつての摩擦──本当はかつての摩擦を東京裁判で終わりにすればよかったと思うんです。だけど、日本人の政治家も含めて、自分たちが謝ることで自分がいい子になって、それで特権を握るということでやってきた。国益よりも謝ることの方を先にやった方が都合がいい人たちがいたから、私は残念だと思うんです。
 でも、必ずできると思うし、さっき申し上げましたように、まず私たちの心に Asia is oneという一つの夢が芽生えることだと思うんです。夢が芽生えたら、それを具体化するためにどうすればいいかということが増えると思うんです。実は今、質問をいただいて大変感謝したいのは、私は個人的にそういう会をつくりたいと思って、今、規則やバッジまでできているんです。ただ、今のところメンバーがいないんです。だけど、それをやりたいと思っています。それは日本が最初に主導してやるとまずいと思います。警戒心を促したりするから、なるべくほかの外国人、あるいは日本に来る留学生も含めて、そういう人たちが中心になって、日本がそれをバックアップしていただければ、これは必ず成功すると思うし、しかも21世紀、今後生きていくために本当はそれが必要なんです。今は遅過ぎるぐらいなんです。それを一日も早くやることが大事だと思いますので、そういう質問をしてくださったことに対しても感謝し、時間をオーバーしたことをおわびして、終わりにしたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)



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